喜寿を迎えて、年をとってしまったことを改めて感じてしまいます。これまでの「自分史」を振り返ってみますと、昭和42年に新卒で地元企業に就職しましたが、翌年の昭和43年(1968年)に中途採用で東亜燃料工業株式会社に入社できたことが大きな転機となりました。
清水工場で採用され、和歌山工場での入社式になりました。導入訓練後に配属されたのが建設中の改質脱硫係(OG―2)で、新入社員ながらイニシャルスタートアップを経験することができました。折しも昭和43年は高度経済成長が始まったばかり。諸先輩方には職場はもとより部活や駅伝などの場内大会、職レクなどを通じて公私にわたりご指導をいただきました。バスケ部の事業所対抗では打倒“清水”に燃え、白浜合宿などが懐かしくなります。
第2の転機は、昭和49年(1974年)に清水工場へ転勤になったことです。配属された港湾係では、タンカートレーニングでシンガポールから香港への航海に参加、石油精製工場から油槽所へのターミナル化工事、LNG船対応の桟橋改造工事と第1船受入作業など。また陸上出荷への配属で、出荷用コンピューターの更新とローリー出荷設備の増強工事などが思い出されます。
昨年は結婚50周年の金婚式、今年は喜寿を迎えて、2年続けて記念日を迎えることができました。ここまで大過なく過ごせてきたのも、多くの皆様に支えられてきたからだと思います。また、OB会のおかげで毎年懐かしい方々と再会することができて、青春時代に戻った楽しいひと時を過ごすことができます。お世話になった皆様、ありがとうございました。
写真説明 |
写真-1 |
: |
和工体育館で従業員家族と一緒に祝った創立30周年記念行事。ステージ上でドラムを叩いているのが音楽部時代の本人。 |
写真-2 |
: |
和工での独身時代を過ごした第一竹田寮。 |
写真-3 |
: |
タンカートレーニングでエッソ オリエント号のブリッジにて。中央が本人。 |
以上